2026年11月6日

歴史 雛人形

雛人形の歴史はいつから?起源・由来と平安時代から現代までの移り変わり

3月3日の桃の節句に飾る雛人形。春が近づくと雛人形を飾る光景は、私たちにとってなじみ深いものですが、「雛人形はいつから飾られるようになったの?」「昔から今と同じ姿だったの?」と疑問に思う方もいるのではないでしょうか。

実は、現在の雛人形につながる文化のルーツは、平安時代以前までさかのぼります。ただし、当時から現在のような雛人形があったわけではありません。

人形(ひとがた)に穢れや災いを移して祓う風習や、平安時代の子どもたちが楽しんだ「ひいな遊び」など、さまざまな文化が長い年月の中で影響し合い、江戸時代になると3月3日に雛人形を飾る文化が広がっていきました。

今回は、そんな雛人形の起源と歴史を、平安時代から江戸時代、そして現代までのお人形の変化とともに分かりやすくご紹介します。

雛人形の歴史はいつから? 2つのルーツを知ろう

「雛人形の歴史はいつから始まったの?」という疑問に対しては、現在の雛人形につながる文化のルーツは平安時代以前までさかのぼる、と考えると分かりやすいでしょう。

ただし、ある時代に突然「雛人形」が誕生したわけではありません。

その背景には、大きく分けて「人形に災いを移して祓う風習」と「小さな人形を使ったひいな遊び」という2つの文化がありました。

それぞれが長い歴史の中で影響し合いながら、後の雛人形や雛祭りにつながっていったと考えられています。

人形(ひとがた)に災いを移す「祓い」の風習

日本では古くから、人の形をかたどった「人形(ひとがた)」や「形代(かたしろ)」に自分の穢れや災いを移し、水に流すなどして身を清める風習がありました。

また、中国から伝わった「上巳(じょうし)の節句」では、水辺で身を清め、邪気を祓う行事が行われていたとされています。

こうした中国由来の文化と日本に古くからあった祓いの風習などが影響し合い、日本独自の行事へと変化していきました。

雛人形に込められている「子どもの災いを引き受け、健やかな成長を願う」という考え方にも、こうした人形と祓いの文化の面影を見ることができます。

平安時代の子どもたちが楽しんだ「ひいな遊び」

もうひとつ、雛人形の歴史を知るうえで欠かせないのが「ひいな遊び」です。

平安時代の貴族の子どもたちは、小さな人形や調度品を使って遊んでいました。現代でいう「おままごと」に近い遊びだったと考えられています。

平安時代中期に成立した『源氏物語』にも「ひいな」という言葉や、ひいな遊びをする様子が登場します。

こうした「人形を愛でて遊ぶ文化」と、人形に災いを託して祓う文化などが長い年月の中で影響し合い、後の雛人形や雛祭りへとつながっていきました。

※雛祭りそのものの歴史について詳しくは「『源氏物語』にも登場!?雛祭り(桃の節句)の歴史を知ろう」もあわせてご覧ください。

【年表】雛人形はどう変わった?平安時代から現代までの歴史

現在では華やかな衣裳をまとった男雛と女雛が並ぶ姿がおなじみですが、雛人形は長い歴史の中で、その時代の暮らしや美意識を取り入れながら少しずつ姿を変えてきました。

まずは、その大まかな流れを年表で見てみましょう。

・平安時代:人形を用いた祓いの文化や「ひいな遊び」が見られる
・江戸時代初期:3月3日に雛人形を飾る文化が広まり、立雛や坐雛などが作られる
・江戸時代中期:享保雛など、大型で華やかな雛人形が登場
・江戸時代中~後期:次郎左衛門雛、有職雛、古今雛など多彩な様式が発展
・江戸時代後期:三人官女や五人囃子、雛道具なども加わり、段飾りが華やかに
・明治~昭和:一時的な衰退と復活を経ながら、御殿飾りや段飾りなど多様な形式が親しまれる
・現代:伝統を受け継ぎながら、コンパクトさやインテリアとの調和も重視される

ここからは、それぞれの時代について詳しく見ていきましょう。

平安時代|「ひいな遊び」に使われた小さな人形

平安時代には、すでに「ひいな遊び」と呼ばれる人形遊びが行われていました。

ただし、この時代の人形は、現在のように3月3日の桃の節句に飾るための雛人形ではありません。小さな人形や調度品を使って遊ぶもので、貴族の子どもたちを中心に親しまれていました。

そのため、「平安時代に現在の雛人形が誕生した」というよりも、後の雛人形につながる人形文化が育まれていた時代と捉えるのがよいでしょう。

江戸時代初期|3月3日に雛人形を飾る文化が広がる

現在の雛祭りに近い形が見られるようになるのは、江戸時代に入ってからです。

3月3日の節句に雛人形を飾る文化が次第に広まり、初期の雛人形には、祓いに用いられた形代の面影を残す「立雛」などがありました。

立雛は、男雛・女雛ともに立った姿をしているのが特徴です。

やがて、人形は「災いを託して流すもの」という役割だけでなく、家庭の中で大切に飾り、子どもの成長を願うものへと発展していきます。

江戸時代中期|享保雛など華やかな雛人形が登場

江戸時代に雛祭りが広まっていくと、雛人形そのものも次第に豪華になっていきました。

特に享保年間(1716~1736年)ごろに流行した「享保雛」は、それまでのお人形と比べて大型で、華やかな装束をまとっているのが特徴です。

このころには、現在のお雛様からイメージするような、座った姿の雛人形も発展していきます。

衣裳や顔立ちなどにもさまざまな工夫が凝らされるようになり、雛人形は節句のためのお人形であると同時に、美しい工芸品としても発展していきました。

江戸時代中~後期|次郎左衛門雛・古今雛など多彩な雛人形へ

江戸時代には、その時代の流行や美意識を反映した、さまざまな雛人形が生み出されました。

例えば「次郎左衛門雛」は、丸みを帯びた顔立ちや引目鉤鼻(ひきめかぎばな)と呼ばれる表情などが特徴です。

その後に登場した「古今雛」は、より写実的で華やかな顔立ちや装束が特徴で、現代の雛人形につながる形式のひとつとされています。

また、男雛と女雛だけでなく、三人官女や五人囃子、さまざまな雛道具を一緒に飾る形式も発展。段を使って豪華に飾る雛人形も親しまれるようになっていきました。

こうして江戸時代を通じて、雛人形は種類も飾り方も豊かになっていったのです。

明治・大正・昭和|暮らしとともに変化する雛人形

江戸時代に大きく発展した雛人形の文化は、明治時代以降にも受け継がれていきます。

明治初期には五節句の廃止などによって雛祭りが一時衰えた時期もありましたが、その後再び広まり、近代の暮らしの中にも定着していきました。

時代や地域によっては、御殿のような建物の中にお人形を飾る「御殿飾り」や、たくさんのお人形やお道具を並べる「段飾り」なども親しまれます。

さらに、住宅事情や家族の暮らし方が変わるにつれて、雛人形の大きさや飾り方にもさまざまな選択肢が生まれていきました。

現代|コンパクトさやインテリアとの調和も大切に

現代の雛人形は、さらに多彩です。

華やかな段飾りはもちろん、男雛と女雛を中心に飾る親王飾や、コンパクトな木目込み雛人形、ケース飾り、収納飾りなど、暮らしに合わせて選べるようになっています。

特にマンションやアパートなどでは、「飾る場所や収納場所を取りすぎないものを選びたい」というご家庭も少なくありません。

また、ナチュラルな木の風合いや淡い色合いなど、リビングのインテリアになじむデザインを選ぶ楽しみも広がっています。

一見すると昔の雛人形とは大きく変わったようにも感じますが、その時代の暮らしや美意識に寄り添って姿を変えてきたことも、雛人形の長い歴史のひとつといえるでしょう。

雛人形に込められた意味|子どもの健やかな成長を願う文化 

雛人形の大きさや顔立ち、衣裳、飾り方は、時代とともに大きく変化してきました。

その一方で、雛人形には古くから、人形に災いを託して祓う文化とのつながりがあります。

現在では、お子さまの健やかな成長や幸せを願い、初節句をお祝いするために雛人形を飾るご家庭が多くなっています。

雛人形を飾ることは、単に昔から続いている習慣というだけではありません。

「これからも元気に、幸せに育ってほしい」。

そんなご家族の想いをお人形に託し、毎年の成長をお祝いできることも、雛人形ならではの魅力ではないでしょうか。

※雛人形に込められた意味について詳しくは「雛人形を飾る意味とは?歴史や込められた想い、購入の必要性について解説」をご覧ください。

江戸時代から現代へ続く「木目込み」の技法 

長い歴史を持つ雛人形ですが、現在も受け継がれている伝統技法のひとつが「木目込み」です。

木目込み人形は、江戸時代中期に京都で生まれたとされ、その技術は江戸へも伝わりました。

現在も伝統的な技法を大切にしながら、さまざまな木目込みの雛人形が作られています。

江戸時代中期に生まれた木目込み人形

木目込み人形の始まりは、江戸時代中期の元文年間(1736~1741年)ごろとされています。

京都の上賀茂神社に関わる人々によって作られた「賀茂人形」が、その起源といわれています。

木目込みとは、人形の胴体に細い溝を彫り、その溝へ布地の端を埋め込むことで衣裳を表現する技法です。

布を実際に着せ付ける衣装着人形とは異なり、ボディに沿って布を木目込むため、丸みのあるシルエットに仕上げやすいのも特徴です。

京都で生まれた技法はその後江戸にも伝わり、現在の江戸木目込人形などへと受け継がれていきました。

伝統を現代の暮らしへつなぐ、ふらここの雛人形

人形工房ふらここでも、伝統的な木目込みの技法を大切にした木目込み人形、華やかさや上質さはそのままにコンパクトで飾りやすいサイズ感にした衣装着人形など、現代の暮らしに寄り添う雛人形づくりを続けています。

特徴のひとつが、赤ちゃんのようにふっくらとした愛らしいお顔。お子さまのお顔を思い浮かべながら、「この子に似ているね」とご家族で選んでいただけるよう、さまざまなお顔をご用意しています。

また、現代のリビングにもなじみやすい色使いやデザイン、限られたスペースにも飾りやすいコンパクトなサイズ感にもこだわっています。

伝統を受け継ぐことは、昔とまったく同じものを作り続けることだけではありません。

長く受け継がれてきた技法や想いを大切にしながら、その時代の暮らしの中で「毎年飾りたい」と思えるお人形へつないでいくことも、伝統のひとつのあり方だとふらここは考えています。

ここからは、伝統的な技法や意匠を取り入れながら、現代の暮らしにも飾りやすく仕立てた、ふらここの雛人形を3つご紹介します。 

ことこと 京刺繍・八重桜

華やかな八重桜を刺繍であしらった衣装が目を引く五人飾。
衣装や屏風に繊細な刺繍を取り入れ、伝統的な雛人形らしい華やかさを感じられる仕立てです。
ナチュラルな色味の飾り台を合わせることで、和の趣を大切にしながら現代のお部屋にも馴染みやすく仕上げています。

品番 :CT-01229600
価格 :¥ 139,500(税込153,450円)
サイズ:横幅42.5×奥行25×高さ24.5cm
お顔 :ことこと

>>商品ページはこちら

まいまい 京刺繍・春の陽・桃色

桜が咲き誇る春の景色を、京刺繍で表現した親王飾です。
衣装だけでなく屏風にも春の花々を刺繍し、伝統の技を生かしながら、陽だまりのようなあたたかな雰囲気に。
奥行18cmとコンパクトで、現代の住まいにも取り入れやすい雛人形です。

品番 :MI-01129700
価格 :¥ 81,800(税込89,980円)
サイズ:横幅38×奥行18×高さ22cm
お顔 :まいまい

>>商品ページはこちら

めいめい 花胡蝶・桃色

花と蝶が舞う優美な衣装をまとった親王飾。正絹金襴の衣装には、古くから美の象徴とされてきた蝶と花丸紋をあしらっています。
桜を京刺繍で表現した屏風を合わせ、伝統的な意匠を取り入れながらも、春らしいやわらかな雰囲気に仕上げました。

品番 :ME-01128200
価格 :¥ 88,700(税込97,570円)
サイズ:横幅38×奥行22×高さ25cm
お顔 :めいめい

>>商品ページはこちら

雛人形の歴史についてよくある質問

最後に、雛人形の起源や歴史についてよくある疑問をまとめました。

雛人形の歴史はいつから始まった?

現在の雛人形につながる文化のルーツは、平安時代以前までさかのぼります。

人形に穢れや災いを移して祓う風習や、平安時代の「ひいな遊び」などが背景にあり、現在につながるような3月3日に雛人形を飾る文化が広まったのは江戸時代です。

そのため、「平安時代に現在の雛人形が誕生した」というより、長い年月をかけてさまざまな文化が影響し合い、現在の形へ発展してきたと考えるとよいでしょう。

昔の雛人形と今の雛人形は何が違う?

雛人形は時代とともに、姿も飾り方も大きく変化しています。

江戸時代には立雛や坐雛、享保雛、次郎左衛門雛、古今雛など、さまざまな雛人形が作られました。その後は段飾りや御殿飾りなども親しまれ、現代では親王飾や木目込み雛人形、ケース飾り、収納飾りなど選択肢がさらに広がっています。

住まいや好みに合わせて選びやすくなったことは、現代の雛人形の大きな特徴です。

雛人形は日本独自の文化?

現在の雛人形や雛祭りは、日本で独自に発展してきた文化といえます。

そのルーツには、中国から伝わった上巳の節句などの影響がある一方、日本に古くからあった祓いの風習や人形文化、平安時代の「ひいな遊び」など、さまざまな要素が関係しています。

それらが長い歴史の中で日本の文化や暮らしに合わせて変化し、現在の雛人形へとつながりました。

雛人形と雛祭りの歴史は同じ?

雛人形と雛祭りの歴史は深く関係していますが、まったく同じものではありません。

人形そのものに関する文化と、3月3日に行われる節句の行事にはそれぞれ異なるルーツがあり、長い年月の中で影響し合いながら現在の雛祭りへと発展してきました。

雛祭りそのものの由来や歴史を知りたい方は、関連記事「『源氏物語』にも登場!?雛祭り(桃の節句)の歴史を知ろう」もぜひご覧ください。

まとめ|雛人形は時代とともに姿を変え、子どもを想う願いを受け継いできた

雛人形の歴史をたどると、現在のお雛様が最初から今の姿だったわけではないことが分かります。

人形に穢れや災いを移して祓う文化や、平安時代の「ひいな遊び」などを背景に、江戸時代には3月3日に雛人形を飾る文化が広がりました。

その後、立雛や享保雛、次郎左衛門雛、古今雛など、時代ごとの美意識を映した雛人形が生まれ、現代では住まいや好みに合わせて、コンパクトなものやインテリアになじむものまで選べるようになっています。

姿や飾り方が変わっても、お子さまの健やかな成長や幸せを願い、家族で節句をお祝いする文化は大切に受け継がれています。

ふらここも、江戸時代から続く木目込みの技法を大切にしながら、現代の暮らしの中で毎年飾ることが楽しみになる雛人形を、次の世代へつないでいきます。

この記事の監修者
代表取締役 原 英洋

1963年東京生まれ。祖父:原米洲(人間国宝)、母:原孝洲(女流人形師)。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手出版社・集英社に入社。1987年父親の急逝により、家業である人形専門店に入社。1988年専務取締役就任。2008年に独立して株式会社ふらここを創業。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省『ダイバーシティ経営企業100選』の認定を受ける。
スタッフ全員に光をあてたチーム体制を大切にし、人形業界全体の再興を見据え、「お客様に望まれる商品が多く作られるようになれば、業界も元気が出てくる。その先駆けになるものづくりを進める」ことをモットーとし、日本の美しい文化を次世代に伝えていくことをミッションとする。

代表取締役 原 英洋