日本では古くから、季節の節目ごとにさまざまな年中行事が行なわれてきました。
お正月、節分、ひな祭り、端午の節句、夏祭り、お盆、お月見、
収穫祭…など、これらの行事を通して、子供たちは、
自然のうちにいろいろなことを学んでゆきます。
数ある年中行事の中で、『端午の節句』は災厄や病魔を祓う行事として、
非常に古い時代から続いてきた日本の代表的な伝統行事です。
端午の節句の歴史は古く、奈良時代(約1250年前)から始まりました。
この時代、朝廷では五月五日に菖蒲(しょうぶ)を飾り、
無病息災を祈る節会(せちえ)を行なっていました。
五月は、田植えの関係から、古来より非常に重要な月とされていました。
また、菖蒲には特別な力があると信じられており、
この菖蒲を目印として神をお迎えしたのが、
菖蒲飾りの始まりとされています。
平安時代には、邪気を祓う儀式としての
「騎射(うまゆみ:走る馬上から的に向けて矢を射る儀式)」が、
端午の節会に行なわれるようになります。
鎌倉時代の武家政治の世の中になると、朝廷での端午の節会の儀式は廃れましたが、
尚武(しょうぶ)の気風が強い武家社会では、菖蒲と尚武をかけて、
尚武の節日として端午の節句を祝うようになります。
菖蒲酒や菖蒲湯の風習もこの頃から始まりました。
江戸時代になると、人形(ひとがた)を形代(かたしろ:神が宿る対象)として
飾る民間信仰ともあいまって、端午の節句は民間でも盛んにまねられるようになります。
また、この頃から、町家では武者絵幟(むしゃえのぼり)や
鯉幟(こいのぼり)が立てられるようになります。
そして江戸時代の後期には、男の子の誕生を祝う“初節句”が
盛大に行なわれるようになり、現代に受け継がれています。
一年に一度、のびやかに育つわが子の成長を確認しつつ、
楽しく過ごす端午の節句。
奈良の昔に始まり、長い歴史に培われ、今日に至るこの美しい伝統行事を、
いつまでも大切にしたいものです。
1963年東京生まれ。祖父:原米洲(人間国宝)、母:原孝洲(女流人形師)。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手出版社・集英社に入社。1987年父親の急逝により、家業である人形専門店に入社。1988年専務取締役就任。2008年に独立して株式会社ふらここを創業。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省『ダイバーシティ経営企業100選』の認定を受ける。
スタッフ全員に光をあてたチーム体制を大切にし、人形業界全体の再興を見据え、「お客様に望まれる商品が多く作られるようになれば、業界も元気が出てくる。その先駆けになるものづくりを進める」ことをモットーとし、日本の美しい文化を次世代に伝えていくことをミッションとする。