私たちがドラマや漫画で、時を超え、想いをはせる平安時代。
あざやかな色合いの十二単(じゅうにひとえ)は平安時代の宮中に欠かせない彩りですね。
ひな祭りのお人形のお衣装や、
百人一首のかるたで女性がまとっている姿などで見て、
「存在だけは知っている」といった方が多いと思います。
でも実際に十二単を着る機会も中々ありませんし、
遠い世界の服装に感じてしまってはいないでしょうか?
せっかくの魅力的な日本の文化なのに、もったいないですよね。
今回はそんな「十二単」について
・十二単ってそもそもなに?基本的な情報が知りたい!
・十二単ってどんな衣装なの?どういう構造?
・十二単を着た雛人形の見どころって?
の三点についてしっかり解説していきます。
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はるか昔の美しいファッションを学ぶと、
「源氏物語」に描かれるような遠い過去の情景が、
今よりもグッと身近なものになるはず。
もちろん、伝統的な十二単姿をした雛人形についても、
その魅力がもっと感じられるようになります。
十二単が魅力的なふらここのおすすめ雛人形についても
厳選してご紹介いたしますので
雛人形選びに悩まれている方は最後までぜひご覧になってください。
十二単(じゅうにひとえ)の基本情報
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十二単の歴史(平安時代の貴族装束から現代の宮廷装束へ)
十二単が成立したと言われるのは平安時代中期、
当時、宮中で貴族の女性が着ていた装束(しょうぞく)です。
貴族の女性が儀式のときに着る基本的な服、
「礼服」として用いられていました。
また、
この時代、下流~中流貴族の娘が、「女房(にょうぼう)」として
より高貴な身分の貴族に仕えて働いていました。
そうした日常の出仕のフォーマルな仕事服、
「朝服(ちょうふく)」としても用いられていたので、
「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」とも呼ばれます。
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平安時代、十二単は宮中において、目上の方の前では必ず着用する、
成人女性の正装として貴族の間で広く用いられていました。
平安時代の宮中を文字通り彩っていたと言える装束だったのでしょう。
しかしその後、
貴族が実権を失った鎌倉時代には、経済的な事情が発生してしまいます。
日常の奉仕の服装に十二単は用いず、軽装で行うようになり、
十二単を礼服として着るときにさえ簡略化して着られるようになってしまいました。
そして、南北朝時代以降は、
十二単はほとんど着ることのないものになってしまうのです。
現在着用される十二単は、
江戸時代に、宮廷の古い伝統行事が研究・復興された際、
平安時代の十二単に近いものがよみがえることになったところから伝わっています。
明治時代に、天皇の即位式などで用いられる「最高礼装」の扱いになりました。
現在、十二単の正式名称は「五衣・唐衣・裳(いつつぎぬ・からぎぬ・も)」となっています。
十二単≠12枚! 十二という数字は後に付けられた表現
十二単はその呼び名から、
「12枚着物を着ている」と思われがちですが、
平安貴族の女性たちは必ずしも12枚重ね着をしていたわけではありません。
また、現代で着用される十二単は、下半身に履く袴(はかま)を除いて、
10枚の衣で構成されています。
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そもそも、平安時代には「十二単」という名称は記録がありません。
単純に「女房装束」などの呼び方をされていたようです。
「十二単」は、
鎌倉時代の「平家物語」や「源平盛衰記」で
初めて記録に登場した言葉なのです。
しかしこの「十二単」という名称はその後、
さかんに用いられるようになっていきます。
たくさんの衣を重ねて美しさを追及していた貴族女性の姿を、
「十二」という言葉で表現するのが、
どの時代の人でも、しっくりきたからなのかもしれません。
とはいえ、
平安時代の歴史物語「栄花物語」には、
衣を20枚も重ねて、
身動きがとれなくなってしまった女性のお話も残されています。
豪勢に12枚重ねていた平安貴族もいたであろうと想像できますね。
雛人形にも十二単:婚礼の様子を表す
雛人形でも、女雛の多くは美しい十二単を身にまとった姿をしています。
それは平安時代の、
「高貴な女性が婚礼のお祝いをする伝統的でおめでたい様子」
をもとに作られたからなんです。
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日本の長い歴史の中で受け継がれてきた「十二単の優雅さ」、
これを雛人形のサイズ感で表現できているかどうかが雛人形の「美」と大きく関わってきます。
ご参考として、ふらここの雛人形の品質について
下記サイトにてご紹介いたしておりますのでぜひご覧になってください。
https://www.furacoco.co.jp/hina/quality/
十二単(じゅうにひとえ)の構成を解説!
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それでは十二単の構成を見ていきましょう。
現在正式な十二単の衣を着る順番は、下着である小袖(こそで)の後に続いて、
長袴(ながばかま)→単(ひとえ)→五衣(いつつぎぬ)
→打衣(うちぎぬ)→表着(うわぎ)→唐衣(からぎぬ)→裳(も)
となっています。
長袴(ながばかま):すそを後ろに引くはかま
袴(はかま)とは筒状に左右の足を覆い、
腰でとめる下半身の装束のことですが、
「長袴(ながばかま)」は裾(すそ)が長く、
足先まで包み込み、後ろに引いていく形状になっています。
生地は、精好織(せいごうおり)と呼ばれる、
横にハリが出るものが多いようです。
色は紅色、もしくは深い紫の濃色(こきいろ)が一般的です。
単(ひとえ):袖の先からみえる一番下の衣
「単(ひとえ)」とは元は肌着であったものが、
小袖(こそで)を下着として着るようになり、中間着になった衣です。
上に重ねる衣が汗などで汚れないように
一回り大きく作られています。
裏地がない仕立てで、後の着物の祖先となったようです。
五衣(いつつぎぬ):何枚も重ねた内に着る衣
平安中期には「重ね袿(かさねうちぎ)」と呼ばれていた、
何枚も重ねた衣の総称です。
重ねる衣の数はまちまちだったようですが、
後に五枚とすることが規定されました。
単と合わせて、何枚も重ねた衣の色の組み合わせを楽しんでいたようです。
これを「重ね色目・襲色目(かさねいろめ)」といい、
移り行く四季の自然の美しさを託していました。
打衣(うちぎぬ):光沢のある差し色の衣
表着の下に着る衣は「打衣(うちぎぬ)」といいます。
この名前は、もともと紅染めをした光沢のある綾織物(あやおりもの)に、
光沢と柔らかさを出す仕上げである、
砧打ち(きぬたうち)を施していたことに由来します。
表着(うわぎ):柄までこだわるお洒落な衣
「表着(うわぎ)」は唐衣の下に着る衣です。
これより下の衣はほぼ同じ形をしており、
重ねたものの「上に着ている」ことから
「表着(うわぎ)」と名付けられたようです。
一般的に豪華な織物が用いられます。
唐衣(からぎぬ):正装には欠かせない羽織もの
「唐衣(からぎぬ)」は、「唐風の着物」という意味です。
十二単の一番上に羽織る(はおる)、短い仕立ての衣です。
見た目も美しく、十二単の重要な構成要素のひとつです。
唐から伝わり、着用されていた背子(せこ・はいし)という
奈良時代の袖なしの衣服が変化したものと言われています。
前身ごろと袖は同じ長さで、下の衣よりも袖丈が短い作りになっています。
後ろ身ごろは、あとに着る裳(も)の下に入れるため更に丈が短いです。
裳(も):背中側にまとう成人の証
「裳(も)」とは、
もともとは大きなスカート状だったものが、前面が取り払われ、
背中側に末広がりの布をまとう形になったものです。
唐衣(からぎぬ)の上から被せて、腰で紐を使ってとめています。
平安時代の女性の成人式は「裳着(もぎ)」などと呼ばれ、
成人の証である裳を着ける儀式だったようです。
「小腰(こごし)」と呼ばれる部分は唐衣の衣と同じ生地で作られ、セットになっています。
十二単の髪型(結わずに垂らす→左右に張り出したまとめ髪へ)
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平安時代では貴族女性は垂髪(すいはつ)という髪形で、
髪を結わずに長く垂らしていました。
絵巻物などで見る十二単の女性は、
美しい黒髪をそのままおろした姿で描かれていますね。
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江戸時代後期になって、
大垂髪(おおすべらかし・おすべらかし)という左右に張り出した髪形が
十二単をまとうときの宮廷式髪型として採用されるようになりました。
雛人形は美しい十二単を楽しもう!
雛人形には大きく分けて2種類あり、
どちらもそれぞれの技法で十二単を表現しています。
木目込み人形:胴体に十二単を表現した筋を彫って、そこに布を押し込んで作る雛人形
衣装着人形:衣装を実際に重ね着させてつくる雛人形
違いについて詳しくは以下ページをご覧ください。
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木目込み(きめこみ)雛人形と十二単
ふらここの雛人形は、専門の職人が
木目込み(きめこみ)のあたたかな造形で、十二単を再現しています。
丸みを帯びた形状に、十二単の優雅な立ち姿をデザインしていく、
原型師の腕の見せ所です。
お人形の生地は、
京都で創業270年の老舗、
十三代目誉田屋勘兵衛さんで織り上げられた美しい織物を使い、
人形の町・岩槻の職人の手により、
一つ一つ丁寧に木目込まれていきます。
日本古来の伝統的な衣装である十二単、
志の高い職人の手による雛人形は、衣装の優雅な美しさが表現されています。
十二単を自然にまとう姿の浮かび上がる曲線美には、
雛人形の品質の良さが伝わってくるものです。
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衣装着(いしょうぎ)雛人形と十二単
衣装着(いしょうぎ)雛人形は、
実際の十二単のように布を縫製して着せ付けていく作りです。
小さいお人形のサイズに合わせた布を何枚も重ねるので、
美しい見た目に仕上げるために一切気を抜けない、
想像以上に、大変な手間と技術を必要とするものとなっています。
下記コラムでは、衣装着雛人形の制作工程を解説しています。
品質の高さやふらここのこだわりについて詳しくご紹介していますので、
ぜひご参考になさってください。
十二単を着こなすふらここの雛人形をご紹介!
十二単が平安貴族の装束であったように、
ひな祭りも、
平安貴族の間で行われていた「ひいな遊び」をルーツに持っています。
そんな歴史あるひな祭りを、豪勢な十二単で彩ってくれる、
ふらここで人気の雛人形を5つご紹介いたします。
・格式ある琳派名物裂の衣装を着た雛人形:ことこと 琳派名物裂
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商品名:ことこと 琳派名物裂(りんぱめいぶつぎれ)(CT-01124400)
サイズ:横幅42.5×奥行25×高さ25cm
価 格:79,950円(税込87,945円)
このお人形に使われている琳派名物裂は西陣織(にしじんおり)!
京都の西陣織といえば、国の伝統工芸品にも指定された格調高い織物です。
実は西陣織は飛鳥時代から続くものなのですが、
平安時代に、貴族たちが最高級の織物を手に入れるため、
京都に職人を集めたことが発展のきっかけでした。
華やかな色味の十二単と、おしとやかな「ことこと」の組み合わせは、
まさに平安貴族に求められた美を感じさせてくれます。
https://www.furacoco.co.jp/hina/product/CT-01124400
・現代的な色の重なりに誰もが魅了される雛人形:れいれい 衣装着・うめ東風
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商品名:れいれい 衣装着・うめ東風(いしょうぎ・うめこち)(RE-05160000)
サイズ:横幅40×奥行19×高さ25cm
価 格:126,000円(税込138,600円)
うめ東風(こち)とは、春になると吹く東からの風のこと。
重ね色目を現代風の松重(まつがさね)に、
唐衣(からぎぬ)は、
「春の兆しを感じたふくろうが、梅の開花を告げる」という
幻想的な情景が織り込まれた生地で仕立てられています。
厳選された金糸が使われた西陣織は、平安貴族好みの上品な光沢です。
https://www.furacoco.co.jp/hina/product/RE-05160000
・花と遊ぶ小鳥の姿に、幸福感を感じる雛人形:めいめい 花に小鳥の丸紋
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商品名:めいめい 花に小鳥の丸紋(はなにことりのまるもん)(ME-01220701)
サイズ:横幅42.5×奥行25×高さ27cm
価 格:125,000円(税込137,500円)
花に小鳥が遊んでいるという光景は古くから登場するモチーフで、
数多くの大和絵(やまとえ)に描かれてきています。
初春を象徴する吉祥文様(きっしょうもんよう)として扱われますが、
昔の人も、春の穏やかな光の中、花々に小鳥が飛び交う姿に、
幸福な未来への兆しを感じていたのでしょう。
「めいめい」の上品な微笑みがいつまでも見ていられるお人形です。
https://www.furacoco.co.jp/hina/product/ME-01220701
・良縁に恵まれる幸せな人生を願う雛人形:うたうた 相鳥花菱文・桃色
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商品名:うたうた 相鳥花菱文・桃色(そうちょうはなびしもん・ももいろ)(UT-01125600)
サイズ:横幅42.5×奥行25×高さ25cm
価 格:84,500円(税込92,950円)
尾長鳥(おながどり)を交互に配置する古典文様「鳥襷(とりだすき)」には、
「良縁」「円満」の意味合いがあります。
この「鳥襷」の文様は古くから貴族社会で用いられてきた、由緒あるもの。
流れるような模様が力強く、優しい表情の「うたうた」が着こなすことにより、
他にない上品な優雅さを醸し出しています。
https://www.furacoco.co.jp/hina/product/UT-01125600
・とても縁起の良いお衣装に笑顔の花が咲く雛人形:まいまい 七宝
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商品名:まいまい 七宝(しっぽう)(MI-01323601)
サイズ:横幅45×奥行35×高さ32.5cm
価 格:181,500円(税込199,650円)
虹のような色合いで織られた西陣織がきらめく大変見栄えが良い雛人形です。
円が広がっていく様子から「繁栄」としての縁起が良いとされ、
古くから貴族に愛されていたこの「七宝(しっぽう)」柄。
意味は、仏教における「七種の貴重な宝」の意味となり、
縁起の良い柄に更に縁起の良い名を付けた昔の人の願いを感じます。
お祝いの晴れやかな十二単と、「まいまい」のお日様のような笑顔が、
お部屋を明るく花のように彩ります。
https://www.furacoco.co.jp/hina/product/MI-01323601
平安時代の衣装美が千年を超えて、職人の手で受け継がれる
十二単は、平安時代の貴族女性たちの装束として生まれたものでした。
唐衣、表着、打衣、五衣、単、長袴、裳などで構成されており、
たくさん重ねた衣の色合いがたいへん美しいのが特徴です。
平安時代、高貴な女性が婚礼の儀をする際に十二単を着ており、
その姿を雛人形が受け継いでいます。
優雅で華麗なお衣装を
小さな雛人形が着こなす姿には、職人の技が詰まっています。
日本で長い間、愛されてきた十二単。
質が良く、可愛らしい雛人形として各御家庭でも楽しみたいですね!
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参考文献
仙石宗久.カラー版 十二単のはなし 現代の皇室の装い.第五版,株式会社 オクターブ,1995,263p
八條忠基.素晴らしい装束の世界 今に生きる千年のファッション.株式会社 誠文堂新光社,2005,159p
1963年東京生まれ。祖父:原米洲(人間国宝)、母:原孝洲(女流人形師)。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手出版社・集英社に入社。1987年父親の急逝により、家業である人形専門店に入社。1988年専務取締役就任。2008年に独立して株式会社ふらここを創業。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省『ダイバーシティ経営企業100選』の認定を受ける。
スタッフ全員に光をあてたチーム体制を大切にし、人形業界全体の再興を見据え、「お客様に望まれる商品が多く作られるようになれば、業界も元気が出てくる。その先駆けになるものづくりを進める」ことをモットーとし、日本の美しい文化を次世代に伝えていくことをミッションとする。
![代表取締役 原 英洋](https://www.furacoco.co.jp/column/wp-content/uploads/2023/08/section01_profile_ph.jpg)