5月5日の端午の節句には、男の子の健やかな成長や立身出世を願って「五月人形」を飾ることが一般的です。その文化は日本全国に共通して根付いていますが、たとえば五月人形の種類や付属品の内容、行事食など、実は細かな風習には関東・関西で地域差があることをご存知でしょうか。
そこで、今回は五月人形や端午の節句における地域ごとの風習についてご紹介します。
関東や関西以外でも独自の風習を持つ地域は存在しており、地域性による文化の違いに目を向けてみると面白いかもしれません。
ぜひご自身の地域とほかの地域とを比較しながら、端午の節句に対する理解をより一層深めましょう。
地域差で異なる「五月人形」の風習
そもそも端午の節句は、古代中国から日本に伝来した「厄払い」の風習が起源であると言われています。中国では 奇数を重ねた日である「五節句」の時期には邪気が近づきやすいと考えられており、神様にお供え物をして無病息災を祈願する習わしがありました。
そのうち5月5日の端午の節句は「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも表現され、香りの強い菖蒲やよもぎを軒先につるしたり、菖蒲湯に入ったりして厄払いをしていたようです。その風習が日本に伝わるなかで菖蒲を「尚武(しょうぶ)」、つまり武道を重んじる考えと関連付けるようになり、兜や鎧や武者人形といった勇ましい飾り付けによって男の子の健康や成長、出世を願うようになったとされています。
そのようにして端午の節句に五月人形を飾る慣習が根付いていったのですが、実は関東と関西とでは五月人形のスタイルに地域差が見られます。関東では兜がメインの「兜飾」が選ばれやすく、関西では関東に比べ、兜だけでなく鎧もセットになった「鎧飾」が選ばれる傾向があります。
また、五月人形とともに飾る装飾品にも地域差があり、関東では「かがり火」を、関西では「提灯」を飾るケースが一般的です。さらに関西では「張り子の虎」を添えて五月人形を飾るご家庭も多く見られます。
五月人形を「誰が買うか」も地域差がある!?
関西と関東では、五月人形のスタイルだけでなく「誰が買うか」の風習にも違いが見られます。関西では「母方の実家」が購入することもありますが、関東では「父方の実家」が購入する場合もあります。
ただし、近年ではご両家からのお祝い金などで赤ちゃんのご両親が購入するケースも多く、必ずしも地域の風習に従う必要はありません。ご両家とも特にこだわりがなければ、各ご家庭の考え方に合わせる形で準備を進めるとよいでしょう。
「こどもの日の食べ物」に見られる関東・関西での地域差
端午の節句には「行事食」と呼ばれる伝統的な食べ物でお祝いする風習がありますが、関東と関西では準備する食べ物の種類も異なります。関東では「柏餅」、関西では「ちまき」がスタンダードな行事食です。
実はちまきのほうが歴史は古く、奈良時代に中国から節句の文化が伝来したタイミングで浸透していきました。ちまきというと、東日本にお住まいの方は中身が中華おこわのタイプをイメージされるかもしれませんが、西日本では中身が甘いお団子のタイプが一般的です。
一方で、柏餅を食べるようになったのは江戸時代頃からと言われています。新芽が出てくるまで落ちることがない柏の葉は「縁起もの」として好まれ、「家系を途絶えさせない」という意味合いで広く取り入れられるようになりました。
そのほかの地域における端午の節句の風習
ここまで関東と関西における風習の違いをご紹介しましたが、そのほかにも端午の節句に関して独特の風習を持つ地域が存在します。
たとえば長崎県では、鯉の形をした「鯉菓子」が伝統的な行事食です。あんこを練り切りで包んだ約25~30cmの大きなお菓子で、「滝登りをする鯉のようにたくましく育ってほしい」という願いが込められています。
また、山梨県や高知県、鹿児島県などでは、家紋や子どもの名前などを入れた「のぼり」を鯉のぼりと一緒に飾るスタイルが一般的です。なお、五月人形の付属品として家紋や名前入りの旗を添えるご家庭もあり、旗の存在によって五月人形をより一層勇ましく、そして華やかに引き立てられます。
地域の風習を取り入れて、お子さまの心に残る端午の節句に
端午の節句に関する風習は地域によって異なるため、「こんなしきたりがあったとは…」と驚かれた方もいるかもしれません。ときにはほかの地域の風習も取り入れてみると、また違った角度から端午の節句をお楽しみいただけると思います。
五月人形のスタイルに関しても地域差はあるものの、共通しているのは「お子さまの健やかな成長や出世への願いを込めて贈る」ということ。ぜひお子さまを想いながら五月人形をセレクトして、毎年の端午の節句を愛情たっぷりにお祝いしましょう。
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1963年東京生まれ。祖父:原米洲(人間国宝)、母:原孝洲(女流人形師)。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手出版社・集英社に入社。1987年父親の急逝により、家業である人形専門店に入社。1988年専務取締役就任。2008年に独立して株式会社ふらここを創業。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省『ダイバーシティ経営企業100選』の認定を受ける。
スタッフ全員に光をあてたチーム体制を大切にし、人形業界全体の再興を見据え、「お客様に望まれる商品が多く作られるようになれば、業界も元気が出てくる。その先駆けになるものづくりを進める」ことをモットーとし、日本の美しい文化を次世代に伝えていくことをミッションとする。